秋も深まる中、今日は最近の社会に住む外国人としての感想を投稿したい。
日本のニュースでも散々報じられているが、ドイツ東部のザクセン・アンハルト州の州議会選挙でAfD(ドイツのための選択肢)が第一党になったことがドイツでも話題となっている。
思えば、コロナ禍やウクライナ危機以降、ドイツ社会は大きな変容を遂げてきた。長引く景気低迷も相まって国民の間には鬱憤が蓄積し、あらゆる場面で人々の主張が鋭く二極化しているのを感じる。
他国と同様、移民問題はその最たる象徴だ。治安悪化の懸念が現実に出てきていることは否めない。
しかしそれ以上に、移民という存在が社会の不満をぶつけるスケープゴートとして、一人歩きしている印象を強く受ける。
私のような日本人も移民の一人だし、病院や介護施設、物流の現場など、社会の根幹を支えるために日々一生懸命働いている移民も無数にいる。
本質的な問題は、政治や経済の不安定さがもたらす「先行きの見えない不安」を、社会全体が処理しきれなくなっていることにあるのではないか。
うなぎ登りに上がる物価や光熱費、年金をはじめとするセーフティネットへの不信感、職場でのプレッシャーやメンタルの不調。日常を取り巻く不安の種は枚挙にいとまがない。
そうした不安に直面したとき、人はどう行動するか。本来であれば自分自身の手で課題に向き合うべきだが、今の社会に蔓延しているのは「他者を叩き、蹴落とすことで優越感や安心感を得る」という安易な防衛反応に見える。
他人を責めるほうが、自分を変えるよりもはるかに楽だからだ。そして誰もが「蹴落とされまい」と過剰に自己防衛し、常に戦闘モードで周囲を警戒している。
アジアや中東のように調和や連帯を重んじる文化圏から来た人たちと話すと、この空気感に強い疲弊感を訴える声が多い。日本人である私も同様だ。
もともとドイツは役所や医療機関などで自己主張が不可欠な社会だったが、10年ほど前と比べても、そのトゲトゲしさに拍車がかかっている。誰もが終始誰かと戦っていなければならない環境は、精神的に非常に消耗する。
将来への希望を見出せず、国を離れる若者が増えているという報道も目にするようになった。私の身の回りでも、日本への本帰国や、より穏やかな環境を求めて他国へ再移住を決断した人が実際に何人かいる。

かつて経済的停滞から「欧州の病人」と揶揄されたドイツ。いま再びその名で呼ばれ始めているが、今回は単なる景気の話にとどまらない。社会全体の精神が鬱屈し、人々の活力そのものが失われているという意味で、より根深い「病」を抱えているように思えてならない。
一人の外国人として今の私にできるのは、外の不穏な空気に過度に惑わされることなく、まず自分自身の生活と足元をしっかりと整えることだ。日々の暮らしの重心が自分の中にあれば、周囲の殺伐とした言動に一喜一憂する必要もない。
かつてのように、人々が心のゆとりを取り戻し、この長い停滞期から抜け出してくれる日を静かに祈るばかりだ。

